オバマ大統領と抱擁アマチュア歴史家 森重昭氏の功績に感動

   

2016年5月27日、オバマ大統領が、現役大統領としてはじめて、日本の原爆の地・広島を訪問しました。約48分間の滞在でした。オバマ大統領と直接握手をし、言葉を交わした来賓者の中で、森重昭さんという方がいます。森重さんがなぜオバマ大統領と抱擁を交わしたのか、森重さんの功績を調べてみました。森重さんの並々ならぬ努力に感動しました。

obama-004

≪関連記事≫ オバマ大統領「核なき世界へ」全文日本語訳

 

森重昭さんのコメント

 

(オバマ大統領の手は)温かかった。今まで苦労に苦労を重ねた大変な思いをしたけどね。最高のもてなしを今日はアメリカ側がしてくれた。夢のようでした。」

とゆっくりと語りかけるように話されていました。

 

森重昭さんとは40年間何をしてきた人?

obama-003

1937年生まれ。当時8歳だった彼自身も、九死に一生を得た被爆者のひとりです。2008年「原爆で死んだ米兵秘史」(光人社)を出版しています。広島県で妻と暮らし、2人の子供がいるアマチュア歴史家です。

当時、通っていた小学校の近くに米兵の捕虜地があったようです。そしてこの捕虜地は、原爆地から400メートル程のところにありました。原爆地からほど近かったため、米兵捕虜も被爆する事態となりました。

40年もの間、森重昭さんは、被爆米兵捕虜12人の記録の断片を紡ぎ合わせてきました。森重昭さんはこう語ります。

「死ぬまでに、何とかご遺族を探し出して、亡くなった米兵捕虜の写真と名前を平和祈念資料館に原爆犠牲者として登録しようと心に決めたのです。」
「誰にも言われたわけでもないし、誰も手伝ってくれなかった。みんな上手くいかないと思っていたけれども、私は何としてもやり遂げようと思っていました。」

実際は、終戦前後の混乱期だったため、米軍部は広島で拘留されていた捕虜がどのようになったか知るよしもなかったそうです。家族には行方不明だと伝えるのが精一杯のお粗末な対応でした。

自分の家族が戦争にいって戻ってこないと想像してみてください。生存の望みを諦めたとしても、「行方不明」の一言で終える事が誰にできるでしょうか。

しかし、当時のアメリカ政府は、行方不明の一点張りが長い期間続いたそうです。そして1983年、政府は、米兵捕虜が広島で原爆の犠牲になったことを認めたのだそうです。

森重さんは、日本人だろうが米国人だろうが、原爆の犠牲になったのには変わりないとお考えになったのでしょう。今になれば、当然の思想かもしれませんが、当時の混乱期において、行動に移したことに私は感動してしまいます。

森さんは、捕虜がまず「どこからどうゆう経緯で広島に収容されたのか」を調べたそうです。その後、名前をフルネームで調べ、広大なアメリカの人口の中から一致する人を探し始めました。気の遠くなる作業を一人で始めたのです。

 

スポンサーリンク

 

 

思いは人から人へ伝わる

cf6b78e8a9be8eec138540976274dc0d_s

地道な作業を続けていた森重昭さん。何の見返りも求めず、ただただ同じ被爆者とその家族のために、活動してきたのでしょう。

被爆米兵のひとりノーマン・ブリセットさんの遺族から甥のバリー・フレシェット監督の耳に真実が伝わりました。バリー監督は、ドキュメンタリー映画「Paper Lanterns(ペーパー・ランタン)」を製作し、世に真実を映像として伝えました。このことにより、より多くのアメリカ人が彼の功績を称えたのでしょう。

同じ日本人として、そして被爆者であったにも関わらず、国籍などにとらわれず人として「家族への思い」を大切に、信念をもって取り組んできた長い孤独な戦いだったのだと思います。正しい思いは、必ず人から人へと伝わるのだと、森重昭さんを見て思いました。

 

スポンサーリンク

 

 

アマチュア歴史家とは

06f00240d003f3c8dd7551f97a6a8c76_s

アマチュアとは、アマ(素人・しろうと)の事です。対語はプロ(玄人・くろうと)の事です。歴史家とは、日本史・世界史の研究者で、大学の教官や民間の素人学者まで多くの方が存在します。アマチュアの方は、歴史の定説をガンガンひっくり返すこともあるようですね。

森重さんの場合は、プロや専門家に匹敵する知識や技術を持っているが、職業として行うための資格を持っていないか、持っていてもそれを職業としていない方なんでしょうか。

核のない世界の歴史的第一歩として、平等な思考を持った森重昭さんの涙に感動しました。

 

スポンサーリンク

 

 

 - メディアニュース